2003 3/8(土) 今年になってから1回もこっちのふらにごとを書いてないことに気づいた。
これはいけない。書かなければいけない。堕落、怠慢と思われるではないか。
少し前になってしまったが、スペースシャトルの悲惨な事故があり・・・
事故のことを知って、鮮やかによみがえった記憶がひとつある。
チャレンジャーの事故のことだ。
あれは、あたしが小学校1年生か、2年生の時だった。
テレビで、みんなが泣いているのだけ見た私は、「あの人たち何で泣いてるの?」と親に尋ねた。
そしてスペースシャトルがみんなの目の前で爆発してしまったんだと説明を受けた。
わたしくらいの子の先生も乗っていて、目の前で一緒に爆発してしまったんだとも聞いた。
「あなたも、N先生(当時の私の担任の先生)がスペースシャトルに乗ってて、目の前で爆発しちゃったら、泣いちゃうでしょう」
と、母親は言った。
でも、私は、「・・・そうかなぁ?」と心の中で思ったのであった。
なぜならば小学生のふらには、N先生のことが、あまり好きではなかったのである。
そういうわけで、今日は、N先生の話をしようと思う。
N先生は、えこひいきをする先生だった。
そりゃぁ、私は基本的に幼くてバカだった。
1年1組は、職員室の並びにあったのだが、入学当初、流行った遊びがあった。
朝、職員室から先生が出てくるのを、教室の前で待ちかまえて、先生が職員室の扉をあけて出てくると、わーっと逃げて教室に入るのだ。
が、皆、1ヶ月もたつと飽きてやらなくなった。
しかし、知恵が遅れ気味の私は、2ヶ月も3ヶ月もひとりでやっていた。
保護者会で親が指摘されたらしく、恥ずかしい思いをしたとしかられた。
そんな出来の悪かった私だから、先生に嫌われてもしかたないかもしれないが、
何かあるたびに、理不尽さを心の中で感じていた。
決定的にN先生のことがキライになった出来事のひとつめは、とある算数の時間。
答えがわかって、「はい!はい!」と私は元気よく手をあげた。
先生が私の名前を呼んだので、当ててもらったのかと一瞬喜んだのに、
N先生は「おまえ・・・八百屋のねえちゃんみたいだな」と言っただけで、「はい、鈴木」と違う人をあてたのである。
私はひどく傷つき、もう絶対にN先生には心を開かないと自分に誓ったのだ。
ふたつめは、図工の時間。
絵を描くのが大好きだった私は、図工の時間がとても楽しみだった。
家ではいつもお絵かきしていたし、その時の課題も、すごく一生懸命描いていた。
そう、その課題は、「自分がちょうちょになったら」というもので、クレパスで描いた。
できあがったみんなの絵を壁にはって、先生は、ひとつずつきちんとコメントをしていった。
上手な子の絵には「すごい、4年生が描いたみたいだ」と褒めたり、「色がいいねー」とかひとことずつ褒めていた。
私の絵は、なんて言ってもらえるんだろう。ドキドキ胸が高鳴る。
そして、私の番になった。先生は絵を指さして、「うーん、これはねぇ」と、別に何もコメントせずに流して、次の絵の評価に移ってしまった。
どんな絵だったかもなんとなく覚えているが、そんなにめちゃめちゃな絵を描いたわけではなかったし、自分は一生懸命描いたと自信があったから、私は、悲しくて、しばらく口もきけなかった。
しかも、私は出席番号が40番。1年1組で一番最後の番号だった。
しかし、よく考えてみると、私のひとつ前の番号の子のほうが、私より50音別ではあとなのだ。
まぁ、これはたんなるミスなのだろうが、出席で自分の名前が呼ばれないと妙に悲しくなるのと似て、なんかあとまわしにされるのも悲しかった。
それと、小学校の低学年の先生は、音楽も教えなくてはいけなかったようで、N先生が音楽の授業もやっていた。
N先生は、おそらく、全然音楽ができなかったと思われる。
足踏み式のオルガンが各教室にあって、その鍵盤を、ここと、ここと、ここと・・・、と右手でぎこちなく触って、「ドミソ」を探していた。
そして、どんな曲でも、伴奏は、右手の「ドミソ」のみだった。
そして、4拍子でも3拍子でも、拍ごとにぽん、ぽん、ぽん、とドミソを弾くのみだった。
幼稚園の頃から家の鍵盤を比較的自由に弾いていた私は、それがたいへん気になってしかたなかった。
先生失格だと、心の奥で思っていた。
かくして、私の将来の夢は、「小学校の先生」になった。
N先生のような、生徒の心を傷つける先生がいちゃいけないと・・・私こそが、そんなこと絶対しないすばらしい先生になってやる、と、正義感を燃やしたのである。
卒業してからも給食が食べたいと思ったのも理由のひとつだったが、それはトップシークレットである。
結局、先生違いで音楽教室の先生には、なったけどね。やめたけども。
風の噂で、今、N先生はどこぞの小学校の校長先生になっていると聞いた。
ちなみにそこの教頭先生は、5,6年の時の担任の先生らしい(笑)
それにしても、小さい頃の記憶って、こんなにも覚えていたりするのだ。
私はほんとうに、自分の生徒に、心の傷とか、いやな記憶を残さなかっただろうか。いい先生であっただろうか。
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